「控え控えーい!この門どころが目に入らぬか!」。時代劇水戸黄門は権中納言だった江戸時代の水戸藩主・徳川光圀公(水戸黄門)を描いた物語としても知られています。
そんな水戸光圀公が晩年に隠居したといわれる場所が茨城県常陸太田市にある「西山御殿庭園(西山荘)」です。この日は常陸太田市をドライブしておりましたので、その光圀公の穏やかな理想郷を訪問致しました。
「世間の歳月の流れは私の知るところでない。なぜならこの山の中は別世界なのだから」。元禄10年(1697)春に光圀公が詠んだ詩でございます。
私もその別世界の地へと足を踏み入れます。
長閑な温かい日差しが降り注ぐ庭園は、理想郷と呼ぶに相応しい楽園です。
光圀公は藩主の座を退いた後、元禄4(1691)年から元禄13(1700)年に没するまでこの庭園で過ごしました。
あの助さんの住居跡もあります。行ってみたいと思います。
水戸黄門に登場する助さん、佐々木助三郎は光圀に仕えた佐々宗淳(さっさむねきよ) だと言われています。テレビでは格さん、渥美格之進(あつみ かくのしん)と共に水戸光圀に仕えたことは知られていますよね。
助さんは老公に仕える水戸藩士で剣の達人。
「不老池」。
この西山荘横の不老池の畔に助さんの住居跡がございます。
助さんこと宗淳の和歌「立ちよれば花の木かげも仮の宿に心とむなと吹くあらしかな」
助さん(本名、佐々介三郎 宗淳)(さっさすけさぶろうむねきよ)は延宝二年(1674)、三十五歳のとき、黄門さん(水戸藩二代藩主徳川光圀)に招かれ、彰考館の史臣となりました。全国各地を訪ね、貴重な古文書を収集して『大日本史』の編さんに力を尽くしました。
元禄元年(1688)彰考館総裁に任命され、同九年七月、総裁をやめ、小姓頭(こしょうがしら)として西山荘の黄門さんに仕えました。元禄十一年六月初めに五十九歳で亡くなりました。
この辺が助さんの住んでいた所でこの井戸(深さ四メートルほど)は当時使用されたものです。助さんの墓は市内増井町の正宗寺にあります。
佐々宗淳の墓碑文には「おおらかで正直、細かいことにこだわらない」、「よく酒を飲む」などといった人物像が記されています。
静かな庭園を散策していると時が過ぎているのも忘れてしまうようです。
「じーんせい楽ありゃー、苦もあるさー」。再び、西山御殿庭園を散策致します。
実は水戸黄門で登場する副将軍というものは江戸幕府の制度にはありませんでした。身分を隠して、助さん、格さんとともに全国を行脚し、世直しをしたというのも脚本家の創作によるもので、水戸藩主・徳川光圀公とは異なっています。
実際の旅路は関東地方のみだったとされています。ただし、わけ隔てなく人々と接し領民に愛されたというのは事実のようです。
ではなぜこうした全国行脚の物語が描かれたかというと、水戸黄門(1628-1700)の漫遊記、江戸中期の『水戸黄門仁徳録』という書によるものだと推察されています。これは光圀の言行録である『桃源遺事』や、その他の伝記・逸話を参考にして創作したもので、今の世で言う小説といったほうが近いようです。
ちょっとずつ歴史を紐解く旅って本当に面白いですよね。「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし」。しばし休憩します。
光圀公の語録。「生くべきときに生き、死すべきときに死す。」
「どれほど質のよい甲冑を身につけ、どれほど堅固な城郭にたてこもっても、士卒の心が離ればなれになってしまったのでは、役に立たない。士卒がお互いに心を合わせさえすれば、どれだけ堅固な城郭にも、札のよい甲冑にも優る。」
本当にその通り。今の世のどんな組織にも当てはまります。
「さりげなく 咲きたる梅の さかりかな」 by 久保田万太郎。
「梅白し 暖かき日も 寒き日も」by 原石鼎。
「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」by 服部嵐雪。
光圀公が一番好んだとされる「難波梅(なにわうめ)」。
「梅は蕾より香あり」。才能のある人や大成する人は、幼い頃からそれが現れるとされますが如何に。
ここからいよいよ西山御殿です。
今日はここで御終いです。お次は「【庭園】茨城・常陸太田の「西山御殿庭園」。水戸光圀公が晩年に隠居した西山荘を散策する!②」をお届けしますので、お楽しみに!
written by tamito0201
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